2022
May
21
自分のための時間、他人のための時間、その心地よい配分とは
自分のために使う時間を「自分時間」。
他人のために使う時間を「他人時間」。
そう呼ぶとするなら、自分時間が長いほうが、楽しいというかありがたいように思います。
でも、自分時間のありがたみは、会社時間とか他人時間に侵された人でないと分からないというか実感しにくいような気もします。
また、そのありがたみも、ずっと続いている状態だと時間の経過とともに薄れてしまうでしょう。
だから、多少は他人時間に侵されるのもアリかもしれません。
他人のために使う時間を「他人時間」。
そう呼ぶとするなら、自分時間が長いほうが、楽しいというかありがたいように思います。
でも、自分時間のありがたみは、会社時間とか他人時間に侵された人でないと分からないというか実感しにくいような気もします。
また、そのありがたみも、ずっと続いている状態だと時間の経過とともに薄れてしまうでしょう。
だから、多少は他人時間に侵されるのもアリかもしれません。
◎他人時間を自分時間にできる人
さて、自分時間とは自分のために使う時間だと冒頭に書きました。
自分のための時間が「自分のやりたいことをする時間」だとすると、「他人のために時間を使うことが、自分のやりたいこと」である場合、そういう他人時間は自分時間になるはずです。
お節介とかボランティアが好きな人や仕事が趣味みたいな人は、楽しい状態が多そうで羨ましいです。
また、他人時間(仕事時間?)の中でサボったりすることで、その時間が自分時間に変換されることもありそうですが、それをやりすぎると信用を失って自分が困ることになってしまう可能性も充分にあるので、積極的にやるべきことではないと私は思います。
◎人ぞれぞれだけど
自分時間をありがたいと感じることができるくらいの、ある程度の他人時間。他人時間をなるべく自分時間に取り込んでしまう工夫や考え方……このあたりのバランスや思考は元々の性格や自分ではコントロールできない要素も絡んでくるので、人それぞれでしょう。
はい、こういう話はとにかく「人それぞれ」であります。
ただ、自分なりに心地よく、同時に「他人様の自分時間」をなるべく侵食しないようなライフスタイルとはどのようなものか、たまには考えたいと思っています。
自分が死んだ後に残るのは、ため込んだもの(こと)ではなく、他人に与えたもの(こと)だなんて考え方も聞いたことがあります。ひたすら自分のためだけに生きるのも、なんだか寂しいような気がしないでもありません。
◎人生後半戦のポートフォリオ
自分時間と他人時間という考え方は、『人生後半戦のポートフォリオ「時間貧乏」からの脱出』という本を読んで意識するようになりました。
仕事と時間とお金、そして自分の人生について考えるうえで、とても参考になる本でした。ただ、今は絶版状態なので、中古本はあるものの新品を見つけるのは難しくなっています。
今回もいつものごとく、ふと思いついて書いただけの、(特に結論もない)しょうもない記事になってしまいました。

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