2021
Jun
26
都会から転校生してきたお坊ちゃん
悪ガキだった小学生時代の思い出を書くシリーズが想定外のご好評をいただいたことがあったので、私は調子に乗って一時期しょうもない記事を量産していました。が、すぐにネタ切れになりました。
中学生以上になると、もはや笑えないエピソードばかりになるし、小学生時代の話にしても「かわいげ」のあるネタはそんなに多くはありません。
ただ、そもそもこのブログは私自身のための自己満足ツールですし、もう、とにかく記事のネタがないので、久しぶりに思い出話でも書いてみようと思います。
私が小学生時代に一度だけ「転校生」になったときのエピソードです。
中学生以上になると、もはや笑えないエピソードばかりになるし、小学生時代の話にしても「かわいげ」のあるネタはそんなに多くはありません。
ただ、そもそもこのブログは私自身のための自己満足ツールですし、もう、とにかく記事のネタがないので、久しぶりに思い出話でも書いてみようと思います。
私が小学生時代に一度だけ「転校生」になったときのエピソードです。
私は小学校高学年のときに、東京から関東の片田舎へ転校しました。
東京の小学校では、私があまりにも悪質なイタズラをプロデュースし続けるということで友人の親たちから敬遠され、「わが子を虫とり小僧とは遊ばせない同盟」が結成されたりもしましたが、学校内に自分の居場所はありました。
【参考:私のいたずらの記録】
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注:倫理観の高い方は読まないでください
しかし、転校すると、すべてがリセットされてしまい、転校先の小学校では、またイチからポジション作りが始まります。新しい学校やクラスに自分の居場所はありません。
集団は、その中にいる異質な存在を排除しようとします。サル山のルールと同じです。そして、特に子供は本能に正直です。
「都会から来たお坊ちゃん」というレッテルを貼られた私は、初日から服装をバカにされ、へんちくりんなアダ名をつけられました。そして、なにかをするたびに笑われました。嘲笑です。
都内の高級住宅の多い地区から田んぼの多い地域に引っ越してきて、見た目はけっこうかわいい坊ちゃんヅラだったので、彼らからすると私は鼻持ちならない異質な存在だったのでしょう。
圧倒的多数派が作り出すアウェイな空気の中で、自分がどのように振舞えばよいのか分からないままに時間が過ぎていきました。
転校して数週間後だったか数ヵ月後だったか、私はそこの小学校の「ナンバー2(学内で2番目の権力者=2番目にケンカが強いとされているやつ)」にトイレに呼び出されました。
ナンバー2は、数人の子分を従えて、ポケットに手を入れたまま、「お前モテると思ってんじゃねぇぞ、コラ!」と、因縁をつけてきました。もう少しマシな因縁がありそうなものですが、無から有を生み出すという点においては、悪くない因縁だったかもしれません。
彼は、都会からきたお坊ちゃんを締め上げることで、学内でのさらなるプレゼンス向上を図ったのでしょう。
相手の急所に躊躇なく攻撃を食らわせることを得意としていた当時の私は、ナンバー2が因縁の口上を述べている間に××××〇〇〇△△△□□□……。
・・詳細の記述は控えますが、途中でナンバー2の子分が先生を呼んできて、その場での事態は収束しました。
先生には目をつけられてしまいましたが、私を警戒したナンバー1とはその後も揉めることなく、そのうち親しくなったりして、なんとか無事に卒業を迎えることができました(色々と目立ってしまったので、中学校に入ってから先輩との関係がかなり大変でしたが)。
そして案の定、転校先でも以前の小学校にいたときと同じように、同級生の親たちの間で「わが子を虫とり小僧くんとは遊ばせない同盟」が結成されました。ただ、それまで住んでいた都会に比べると自然が多く、昆虫も豊富にいたため、私には意外と快適な環境でした。
子供の頃の思い出は単純なようで、よくよく思い出すと、大人の世界とは隔絶された子供だけの複雑な人間関係と子供ゆえの残酷な現実が存在しており、ポジションをキープするために毎日精一杯でした。
私のようなキャラクターの場合、常に存在をアピールしておかないと、また下手なアピールをしてしまっても、いつ自分が攻撃の対象にされるか分からないのです。
あのときのトイレでの一件も、ヤラなければ、逆に自分がヤラれていました。もしも、ヤラれていたら、その後の学校生活は全く違ったものになっていたでしょう。
私はその場を切り抜け、新しい環境で自分の居場所を確保するために、ただただ必死だっただけです。弱い自分がさらけ出され、皆に「弱いヤツ」と思われるのが怖かったのです。運の要素も大きいですが、昭和の片田舎の小学校は、優しくて正直なだけで快適に生きていけるほど生ぬるい環境ではありませんでした。
・・その後、本当に強い人間は他人を攻撃したりなんかしない、という当たり前のことが本当に腹に落ちて分かるようになるまでに、ずいぶんと時間がかかりました。
私は今でも時々、自分のポジションをキープするために、他人を傷つけるようなことはしていまいか?と自問するようにしています(もちろん、暴力という意味ではなく、精神的・社会的な意味で)。定期的に問いかけないと、弱い私は、無意識のうちにそのような行為をしてしまう可能性がないとは言えないからです。
でも、小学生だったあのとき、あの場を切り抜ける最善の方法が他にあったのだろうか?ということを考えると、よく分からなくなるのも事実です。
自分も相手も大人であれば、他にも切り抜ける方法は色々とあったでしょうが、子供の世界の特殊性を考えると、なかなか難しいものです。
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