2013
Sep
14
7人のサムライVSたぬき(私の武勇伝シリーズ・番外編)
小学生の頃、私が所属していた少年野球のチームに、身長185cm・体重120kgくらいの“たぬき”というあだ名のコーチがいました。
たぬきはとても凶暴なコーチで、チームメイトは全員たぬきを恐れて、ビビりまくっていました。もちろん、たぬきが狸に似ていたから“たぬき”と呼ばれていたことは言うまでもありません。
(今回の記事は雑談です。しかも、なんの学びも教訓もないホントにしょうもない思い出話です。正義感の強いかたは読まないことをオススメします。)
たぬきはとても凶暴なコーチで、チームメイトは全員たぬきを恐れて、ビビりまくっていました。もちろん、たぬきが狸に似ていたから“たぬき”と呼ばれていたことは言うまでもありません。
(今回の記事は雑談です。しかも、なんの学びも教訓もないホントにしょうもない思い出話です。正義感の強いかたは読まないことをオススメします。)
◎強敵・たぬき
私も、ボールのキャッチミスをしては怒鳴られ、三振をしては「けつバット」を見舞われ、盗塁に失敗しては往復ビンタを何発も食らわされていました。
今となっては、人間は厳しい環境でこそ磨かれ、理不尽な体験が己を成長させることを理解していますが、当時小学生だった私はたぬきの横暴に怯えつつも、怒りを覚え、ひたすら復讐を目論んでいました。
しかしながら小学生の私では、到底たぬきには戦闘能力は及びません。自分には罪が及ばぬようチームメイトの弟を使って、たぬきのグローブにオサムシ(とてもくさいニオイを発する昆虫)を投入するなど、玄人好みの復讐も行ないましたが、たぬきには全くダメージを与えることができませんでした。
そこで、私は一計を案じたのです。
◎たぬきへの復讐
その日も、私を含む7名の外野の少年たちは、たぬきのストレス解消としか思えない強烈な外野ノックを受けていました。たぬきはノックの際、渾身の力を振り絞って、小学生相手にフルスイングしてきます。
私はノックが始まる前に、外野のチームメイトたちへ、わざとエラーするように言い含めておきました。当時、ガキ大将だった私の指示にさからうチームメイトはいません。
ボールをキャッチできなかったチームメイトは、「くぉらぁ~!!そんな球も捕れねぇのか!このクソ野郎がぁ~!!死ねぇ~~!!」などとたぬきの罵声を浴びつつ、「スンマセンしたっ!」などと叫びながら、後方に転がったボールを拾いにいきます。
たぬきは罵声を浴びせることで、少年たちに野球を教える熱いオヤジである自分に酔いしれ、エラーした少年に技術的な指導を一切することなく、その後も容赦なしに自己満足全開のフルスイングノックを続けました。彼は完全に星一徹になりきっていました。
現在であれば、このような指導者はモンスターペアレントの餌食となっていることでしょう。しかし、当時はまだ昭和です。
私の計画通り全員がエラーしたので、たぬきは怒り狂って「テメーら全員、野球をやめちまえぇぇぇぇ!クソばかアホ野郎ぉぉ!!」と絶叫しました。
そのときです!
私を含めた7人の外野のサムライたちは、各々がエラーした後に拾ったボールを一斉にたぬきに投げ返したのです。
7つのボールが同時に弧を描きながらたぬきに向かって飛んでいきました。
7倍返しです!
1つや2つくらいのボールなら避けることも可能だったかもしれませんが、7つものボールが一斉に自分に向けて投げつけられると、避けるのは容易ではありません。
7つのボールのうち2つくらいがたぬきに「ポコンっ」と直撃しました。
まさにポンポコ合戦。
逆上したたぬきが襲い掛かってきた場合のリスクヘッジとして、私は避難用の自転車をグラウンドの隅に置いておくよう事前にチームメイトに指示しておきました(当然私が主犯なのですが、悪さの責任が7分割されることもリスクヘッジのひとつでした)。
ところが、たぬきは逆上するどころか、しばらくの放心状態を経た後、とぼとぼと自分の車に戻り、誰にも何も言わず帰宅してしまったのです。
完全にイジけていました。
◎たぬきと俺たちの仁義なき戦い
監督・コーチ・内野のチームメイトらは、たぬきの意外な行動に唖然としていました。
私もたぬきがブチ切れて、“ヒグマ”となることを想定していたので、完全に拍子抜けし、逆になんだか、たぬきのことが可哀相になってしまいました。
しかし、ほんの一瞬でもたぬきのことを可哀相だと思った私は、まだまだあまいお子様でした。翌週の練習から、たぬきの世にも恐ろしい逆襲が始まったのです。
書いてしまうとドン引きされてしまうほど幼稚なイチャモンと走りこみと激しい暴力が私たちに襲い掛かってきました。
週末の野球の練習は、私にとっては野球を習いに行くというよりも、ひたすらたぬきと対決する時間でした。
たぬきの横暴も強烈でしたが、私を中心とするサムライたちの復讐もなかなかのものでした(練習中に後ろを向いてるたぬき目掛けて全力返球したり、昼休みにたぬきの車のなかに正露丸をバラ撒いたりしました)。
たぬきが怖くても、復讐をやめる気にはならなかったのです。
私は子供ながらにも、力や怖さだけで他人を従わせるのには限界があることを学びました。
たぬきに反抗し復讐するたびに、当然、私は監督などの他の大人から注意を受けましたが、想定していたほどは厳しく怒られはしませんでした。毎回、数十発のビンタは覚悟していたものの、たぬきへの復讐のあとは、1発も殴られませんでした。
たぬきは子供だけでなく、他の大人に対しても横暴だったので、ひょっとしたら、他の大人たちも内心「たぬき、ザマぁ~ww」なんて思っていたのかもしれません。
◎たぬき、また会おう!
たぬきとの闘いは私が野球チームを引退するまで続きました。
私たちの引退のときに、たぬきが弱さを見せたとか、優しい一言を放ったとか、実はいい人だったというようなホロリとくるようなエピソードは一切ありません。
たぬきは最後まで徹底的に陰険で横暴な悪役でした。そのキャラの徹底っぷりは見事なものでした。
当時のコーチから聞いた話によると、後にも先にもたぬきに反抗したのは私たちの代だけだったそうです。
当時、たぬきが私たちのためを思って厳しくしてくれたかどうかは分かりませんが、少なくともたぬきとの対決で多くのことを学べたので、その点についてはとても感謝しています。
また、いまあのときのスリルを思い返したり、チームメイトと思い出話をするとメチャクチャ楽しいので、その点でもたぬきには感謝しています。
たぬき、ありがとう。
※今回の記事は、ただ「7倍返し」という一言を言いたいがために書いた記事です。「7倍返し」という言葉は、記録的な視聴率を一世を風靡したテレビドラマ「半沢直樹」が流行っている今なら何かを感じる人がいるかもしれませんが、数年後には意味の分からないものになっているでしょう。
※ずいぶんと昔の記憶を呼び起こして書いているので、細部については正確性を保証しかねます。フィクションとして読み流してください。
《参考:その他の武勇伝シリーズ》
その1・「ピンポン逃げ」など
その2・楽しいクリスマス会
その3・席替え
番外編・パンチのあった親友泰政

↑記事を気に入っていただけたら、ランキングに1票(クリック)をお願いします。
- 関連記事
-
- 幼い頃、根性焼きされた話
- 強敵ババアの暴走【席替え・私の武勇伝シリーズ・その3-3】
- 7人のサムライVSたぬき(私の武勇伝シリーズ・番外編)
- パンチのあった親友【その1・泰政という男】(武勇伝シリーズ番外編)
- 私の武勇伝【その2-1・楽しいクリスマス会(前編)】