2013
Jun
27
親友からの朗報
先日、親友の勇次(仮名)と一杯やりました。
勇次と私は中学校時代の同級生で、いわゆる大人になってからも、しょっちゅう一緒に酒を飲んだり、街に繰り出したりしていたのですが、30代になってしまうとお互いなかなか時間がとれず、年に1~2回顔を合わせて酒でも飲めればいいほうでした。
※今回の記事は雑談です。
勇次と私は中学校時代の同級生で、いわゆる大人になってからも、しょっちゅう一緒に酒を飲んだり、街に繰り出したりしていたのですが、30代になってしまうとお互いなかなか時間がとれず、年に1~2回顔を合わせて酒でも飲めればいいほうでした。
※今回の記事は雑談です。
私は友達が多いほうではありません。
知り合いの数や人脈の広さという点では、まあそこそこかもしれませんが、友達と思える人間はハッキリいって少ないほうだと思っています。
学生時代、私は今よりもずっと弱い人間でした。
そして、弱いからこそ、自分をより強く見せようとしました。
自分を強く見せるために虚勢を張って、周囲の人間にナメられぬよう、腕力や悪さを見せつけることで自分のポジションをキープしようとしたのです。
幸い周囲の人間に自分を警戒させることには成功したように思いますが、それと引き換えに、親しいと思える同級生との間にも微妙な隙間が存在してしまい、「親友」と呼べるような友達がなかなかできませんでした。(ある時期に親友だと思っても、長く継続できなかったりしました。)
ただ、数え方にもよりますが、幸運なことに、そんな私にも多少の友達は存在しており(相手がどう思っているのかは分かりませんが)、先日一杯やった勇次はその中でも一番の親友だと私が思っている男でした。
勇次とは、学生時代から共に悪さや失敗をやらかしては修羅場をくぐりあってきた仲です(生命の危機を感じたことも何度かありました、苦笑)。
表面上はちょっと悪そうな彼ですが、根は非常に真面目な男で、20代前半の頃は世間の多くの男子と同じようにサラリーマンをしていました。
ところが、あるとき自分の本当にやりたいことに気づいたようで、急に脱サラ(サラリーマンを辞める)し、仏師(仏像彫刻などをする人)になるための専門学校に通うことにしました。
ただ、その専門学校は京都にあり、我々が住んでいる関東からは、物理的・精神的にけっこうな距離がありました。
本人ではないので、詳しいことや実際のところは分かりませんが、彼が京都に行くにあたって起きた一番の変化は、それまでかなり長い間付き合っていた彼女との別れであったように私には見えました。
傍から見ていても「こりゃあ、結婚するだろうな」と思えるような仲のよいカップルでした。相性も抜群に見えました。
しかし、彼の京都行きをきっかけに二人は別れました。
もちろん、別れた理由がそれだけのはずはないと思いますし、当人たちにしか分からない、もしくは当人たちにも分からない原因のようなものもあったろうと思います。
とにかく、二人は別れました。
その後も全く連絡はとっていないとのことです。
京都に行った勇次は、自分で貯めたお金で専門学校に通い、一心不乱に勉強し、己の技術向上に努め、その卒業制作品は卒業生全員と一般応募者の出品する展示会で最高賞をとったそうです。
その後、京都の名のある師匠のもとに就職という名の丁稚奉公に入り、安アパートと職場(工房)の間をひたすら往復するストイックな生活を続けていました。
私も家庭を持ち、毎日の生活にまみれていたので、遠方で厳しい修行をしている彼と会って話す機会はほとんどありませんでしたが、近況はある程度把握していました。
把握するといっても、たまに会って一杯やるときに、
私「勇次、何か変わったことあった?」
勇次「何もない。相変わらず」
私「そっか」
勇次「ああ」
という会話をする程度のものですが。。
勇次は何年間も、基本的にはアパートと職場を行き来するだけの毎日を過ごしていたようです。
安い給料。当然、食事は自炊。そして、彼女もできぬまま。
彼は、なかなかいい男です。
イケメンというよりは渋くて迫力のある系ですが、それでいて、とても優しい男です。
私を含め何人かの友人たちが、何度か女性を紹介したりもしたのですが、勇次は「相変わらず」でした。たいていの場合、女性は彼を気に入るものの、勇次のほうは「相変わらず」を貫いていました。
もしかしたら、仕事でまだ一人前になっていない彼の中にこだわりのようなものがあったのかもしれません。
そんな彼と先日飲んだ際、久しぶりに彼女ができたというではありませんか!!
しかも、なかなかハイスペックな女性で、羨ましくなるほどです。
まださほど長い付き合いではないそうですが、私はメチャクチャ嬉しくなりました。
もちろん、人間の相性がすぐに分かることは少ないので、今後、二人の仲がどうなるのかは分かりません。
私は勝手に興奮している単なるおせっかいなミーハーおじさんなのかもしれません。
ただ、他人なのに、その幸福を心から喜べる親友が自分にいたことに私は嬉しくなりました。
不幸を一緒に泣いてくれる友人は多くても、嫉妬をまじえずに幸福を一緒に喜んでくれる友人はなかなかいないといいます。
私の幸福を一緒に喜んでくれる友人がいるかどうかは分かりませんが、少なくとも私が幸福を喜べる親友がいることに幸せを感じた夜でした。
※関連記事→勇次のその後(一生飽きない仕事 と 低コストなライフスタイル)

↑記事を気に入っていただけたら、ランキングに1票をお願いします。