2015
Apr
04
5年間で休日が2日だけだと!?(前編・龍馬の挫折)
「この5年間で、休日がたったの2日間しかなかったんだよ」
という、友人の言葉に私は耳を疑いました。
しかも、その2日間の休日があったのはつい最近のことで、それまでの約5年間は1日も休むことなく働き続けていたというのです。
けっこうハードな社畜生活を自認している私も、その友人の労働環境を聞いたときは、さすがにビビってしまいました。久しぶりに再会し、私の仕事のハードさを武勇伝チックに語ろうとしていたのに、逆にいきなり先制ノックアウトパンチを喰らわされてしまったカンジです。
という、友人の言葉に私は耳を疑いました。
しかも、その2日間の休日があったのはつい最近のことで、それまでの約5年間は1日も休むことなく働き続けていたというのです。
けっこうハードな社畜生活を自認している私も、その友人の労働環境を聞いたときは、さすがにビビってしまいました。久しぶりに再会し、私の仕事のハードさを武勇伝チックに語ろうとしていたのに、逆にいきなり先制ノックアウトパンチを喰らわされてしまったカンジです。
◎龍馬という男
その友人・龍馬(仮名)との再会は、大学卒業以来、十数年ぶりでした。
龍馬と私は、大学時代に団体球技の運動部に所属し、100名を超える部員たちと一緒に同じ釜の飯を食いながら、共に学生日本一を目指した仲間です。
龍馬は、関東から遠く離れた地域から、そのスポーツをやるために関東の某大学に進学してきました。
彼は、チーム内の誰もが認める「努力の人」で、毎日の練習後にはいつも必ず一番最後まで居残り練習をしていました。
1年生部員が遅くまで居残り自主練をしていると、先輩から「1年のくせに、なに過剰アピールしてんだよ」というような視線を浴びたり、実際に言われたりするのですが、私の記憶では、龍馬は大学4年間、たしか一度も欠かさずに居残り練習を続けました。私の同期で、そんなバカ真面目なヤツは龍馬だけです。
その真面目過ぎるところに目をつけられ(評価され?)、監督やコーチの洗濯係にも任命されてしまい、いつも龍馬は、私の3倍くらいの量の洗濯モノを抱えていました。
そういえば、入学したての頃、真剣な顔で、「オレ、本気でレギュラー目指してるから・・」と、龍馬に言われたときに、私はちょっとこそばゆいような、なんとも照れくさい気持ちになったことを覚えています。
そんな青春ドラマのようなセリフを、酒も飲まずに真剣な顔で口に出す18歳の人間は、実際にはなかなかいません。東京で生まれ、(ちょこっとだけアメリカに住んでいたことはありますが)関東から出たことのない私には、地方から出てきたばかりの当時の龍馬の温度は熱すぎました。
それでも、そんな心の中の一番熱い部分を私にさらけ出してくれたことが嬉しく、また大切にしなければいけないと思い、1年生の頃は休日に私の実家へ連れて行き、よく一緒に夕食を食べたりしました(関東近郊出身者は休日の度に帰宅可能ですが、龍馬のような遠方出身者は年に1~2回しか帰宅できないので)。
◎龍馬の挫折
出身県ではチャンピオンチームのキャプテンを務め、体も大きくて力も強い龍馬でしたが、全国からトップアスリートが集まる大学の環境で大きな挫折を味わうことになります。
いくら努力しても、プレーヤーとしてのパフォーマンスや結果をキチンと示すことができなければ、トップチームのレギュラー(1軍)にはなれません。
100名以上の部員がいても、実際に1軍に選ばれるのはごく一部の人間であり、その選考基準は「努力」ではなく「実力」です。
世の中には生まれ持った能力やセンスだけで、たいした努力をせずとも試合において天才的なプレーを連発するような人間がいます。もちろん、あまりにも普段の生活がだらしなければ、プレーヤーとしても一流にはなれませんが、だからといって「努力だけ」で成功できるほど、スポーツの世界は甘くありません。
実力の中に「努力」も含まれますが、「努力だけ」ではダメな場合も多いのです。
結局、龍馬は大学の4年間で、一度も1軍には上がれませんでした。
たしか1年生の頃に、一度だけ2軍にいたことはありましたが、あとはほとんど3軍か4軍あたりをウロついていました。
そして、だんだんと私を含む同期の仲間にも心を閉ざし始めます。
私との会話も少しずつ減っていき、やがてほとんど口をきかなくなってしまいました。
先日、久しぶりに再会したときも、「あの4年間は、本当にツラかった。いくら頑張っても全然上手くいかないし、周りからバカにされるし・・」と、しみじみ言っていました。
龍馬と同じ県から入部していた先輩と後輩は、二人とも1軍に上がったのに、なんで一番努力しているはずの自分だけが2軍にすら選ばれないんだ!と、とにかく悔しくてツラかったそうです。
彼は小学校・中学校・高校と、真面目ながらも、その腕っ節の強さから、常に「番長キャラ」だったのに、大学では「真面目なだけの、無口で面白味のないヤツ」になってしまったのです。
龍馬の笑顔を見る機会は、学年が上がっていくほどに減っていきました。毎日の居残り練習は続けていたものの、休日になっても遊んだり、仲間と合コンに繰り出すようなことは一切せず、龍馬はいつも寮で酒を飲んで寝ているだけでした。
◎努力は報われないのか・・
私はそんな龍馬を横目で見つつ、何とも言えない複雑な感情を抱えながらも、チーム内での自分のやるべきことに注力するだけで精一杯でした。
やがて、4年生になり、部活動と並行して就職活動を行い、そして、部活動を引退し、大学も卒業しました。
「俺は、龍馬とは最も分かり合えている同期の一人だ。そして、龍馬もきっと同じように思っているはずだ」と思いつつも、卒業間近になってもあまり多くの会話をする機会はなく、卒業後も連絡を取り合うようなことはありませんでした。
希望を持って地方から関東の大学に出てきて、本気でレギュラーを目指し、誰よりも努力したのに、目標としていた結果は残せずに卒業することになった龍馬は、一体どんな気持ちだったんだろう・・・と、私はそんなことを、たまに考えたりしていました。
もちろん、レギュラーになれる人間よりも、なれない人間の方が多いのは当たり前です。それでも、龍馬ほどの真剣さで努力をした人間が、ただ挫折を味わうだけのために4年間も過ごしたのかと思うと、なんともやるせない気持ちになりました。
しかし、数年後、私は、龍馬に関する衝撃のビッグニュースを耳にすることになります。
つづく
後編・龍馬の奇跡へ
※私の人生だけでは、そのうちネタがなくなりそうなので、当ブログではたまに私の友人のことも記事にしています(もちろん、本人の許可を取ってからです)。色々な人がいて、それぞれの人生を歩んでいますよね。学ぶべきところを見つけて、しっかりと学びたいものです。

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