2013
Jan
26
ブログに「遺書」機能を持たせよう!
投資ブログの執筆を検討してみたことは、これまでにも何度かありました。
でも、そのたびに「書けない理由」ばかりが思い浮かんできてしまうのです。
でも、そのたびに「書けない理由」ばかりが思い浮かんできてしまうのです。
◎書けない理由
・何を書いても同じ分野で既に誰かが同じようなことを書いているので、二番煎じ三番煎じになってしまう
・自分は凝り性だから、他のことが手につかなくなる気がする(本業との同時並行は難しそう)
・ノリノリで書きたいことだけを書いたら、ネタが切れて終わってしまいそう(継続できる自信が持てない)
・書き始めた以上は定期更新しなきゃならんと思うけど、それはそれで締め切りに追われる気分になりそうで嫌だ
・どうせ書くのであれば説得力のあるものを書きたいので、データや図表の作成とかも必要だろうが、そんなのも面倒くさそう
・ウェブ上に公開情報として自分の駄文を載せれば、誤解されたり、ヘンに逆恨みされたり、揚げ足を取られたりして面倒くさそう
要するに、やるならキッチリやりたいけど、なんか大変そうだし、何を書いても自分のオリジナリティを出せそうにないということが、ブログ執筆をためらう主な理由でした。
怠惰で自意識過剰なだけの、ダメ人間の典型のようなお恥ずかしい理由です。
◎ブログに「遺書」機能を!
ところが先日、ブログに「遺書」としての要素を持たせているという方にお会いしました。自分に万が一のことがあったとき、残された家族へ投資に関する情報を伝達する手段としてブログを書いていると聞いて、私は「なるほどなぁ!」と思いました。
家庭内でお金の運用に関する主導権を握っているのに、普段あまり細かいことまで説明していない私には、ブログの「遺書機能」という考え方が妙に腑に落ちたのです。
「遺書」というと少し仰々しい気もしますが、たしかにそういうスタンスであれば、誰かの二番煎じのような内容でも気にする必要はないし、まだ小さい自分の子供たちに、いつか「お金」の話をするときのための備忘録としても、気楽に書けそうな気がします。
まさに自己満足そのものですが、人生結局は自己満足なのです。
実際のところ、子供にそんな話をする機会があるかどうかは分からないし、子供側に需要があるかどうかも分かりませんが、少なくとも私は自分の親がそのような記録を残していたら是非とも読んでみたいと思いました。
◎ブログ執筆に向けて前向きな検討
いったん「ブログを書いてみようかな」と思うと、これまでに湧き上がってきた「書けない理由」が次々と自分に都合よく脳内変換され、前向きな検討が始まりました。私は実に自分に都合のよい雑魚です。
・自分だけのために書くのなら、内容のオリジナリティなどは気にする必要がない
・更新頻度だの取り組むスタンスだのは自分のやりたいようにやればよいし、面倒くさいことはしなければよい
・ウェブ上で公開情報を発信してツッコミが入るのは当たり前だし、ツイッターとかで既に慣れているじゃないか
キチンと継続できる自信は未だにありませんが、「やらないこと」を決めて自分のペースでやればいいだけなのだ、という気持ちになったので、試しにブログを書いてみることにしました。
きっと、主観と独善性に満ち溢れたブログになることでしょう。

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